- 史上最強の哲学入門-東洋の哲人たち 飲茶
史上最強の哲学入門-東洋の哲人たち 飲茶
本書は、哲学入門書として紹介した史上最強の哲学入門の東洋編である。こちらもとてもわかりやすく、西洋哲学との比較も織り交ぜながら、12人の哲学者を紹介している。
著者名、書名、出版社、出版年、総ページ数は以下のとおり。
飲茶、史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち、河出書房新社、2016年10月、444p
史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫) [ 飲茶 ]
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以下、簡単にであるが、本書で紹介されている哲学者について、主張と簡単な解説をまとめていく。気になった哲学者については、さらに著書を読んで深めていかれたい。
本書の記載にもあるが、西洋哲学は階段であると表現しているように、各時代の哲学者が自身の哲学を先人の論を乗り越えて究極の真理に向かって2500年の歳月と努力を積み上げてきた学問である一方で、東洋哲学はそれぞれの哲学者が真理に到達したとしてそれぞれの真理が存在している。西洋哲学は難解であり過去のストーリーの知識がないと理解が進まないこともあるが、最終的には論理的に理解できるものになっている。東洋哲学はそれぞれの哲学で完結するものの、真に理解するのは難しく体得するという性質のものになっている。それぞれ考え方の根本が異なり、それぞれの良さがあることも教えてくれる面白い著作である。
1. ヤージュニャヴァルキヤ
ヤージュニャヴァルキヤは、インド哲学の基礎を築いたヴェーダ時代の哲人の一人であり、「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」において重要な役割を果たす。彼は特にアートマン(自己)とブラフマン(宇宙の根本原理)という概念を深く探究し、後のインド哲学やヒンドゥー教思想の基盤を築いた。ヤージュニャヴァルキヤの思想は、後のインド哲学全体に多大な影響を与えた。特に、シャンカラのアドヴァイタ・ヴェーダーンタにおいては、アートマンとブラフマンの同一性の概念が発展し、インド哲学の中心的なテーマとなった。
アートマン(自己)
- ヤージュニャヴァルキヤは、「アートマン」を人間存在の核心であり、永遠かつ不変の本質とみなした。
- アートマンは肉体や心、知性といった個々の存在を超えたものとして定義され、「内在する究極の自己」であるとされる。彼の思想では、アートマンは個別的な存在を超え、宇宙全体の根源であるブラフマンと一体であると説かれる。
ブラフマン(宇宙の根本原理)
- 「ブラフマン」は宇宙全体の根本原理であり、すべての存在の源とされる。ヤージュニャヴァルキヤは、ブラフマンを形を持たず、時間や空間を超えた絶対的な存在として説明した。
- 彼は、ブラフマンとアートマンの同一性を示し、「アートマンを知ることは、すなわちブラフマンを知ることである」と述べている。この思想は後のウパニシャッド全体において中心的なテーマとなった。
ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドにおける議論
- ヤージュニャヴァルキヤは、このウパニシャッドにおいて哲学的な対話を通じてその思想を展開している。特に、彼が妻のマイトレーイに語る有名な対話では、人間の目標が「不死(アムリタ)」を達成することであると述べ、物質的な財産ではなくアートマンの理解が真の解放をもたらすと説いた。
アートマンとブラフマンの関係
- ヤージュニャヴァルキヤの思想の核心は、「アートマンとブラフマンは同一である」という概念。これはウパニシャッド哲学全体を貫く重要なテーマであり、後のアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)における基盤となっている。
2. 釈迦(ゴータマ・シッダールタ)
釈迦(仏陀)は、インド哲学の中でもヤージュニャヴァルキヤとは異なる視点で「人間の苦しみ」について体系的な解決策を提示した。彼の中心的な教えである四諦と八正道は、人間の苦しみの原因とその解消法を示している。
釈迦は、世界の根本原理や形而上学的な問題に関する探究を拒み、人間が直面する具体的な「苦しみ」の原因と解決に焦点を当てた。釈迦の哲学は実践的かつ経験的であり、「苦しみの解消」に特化している。苦しみそのものを哲学の出発点とし、体系的にその原因と解決法を説いたものが四諦であり、その実践的解決法が八正道である。
釈迦の教え:四諦
- 苦諦(くたい)
- 集諦(じったい)
- 苦しみの原因は**渇愛(執着)**にある。この欲望が苦しみを生み出す。
- 滅諦(めったい)
- 道諦(どうたい)
- 苦しみを滅するための道筋が八正道である。
釈迦の実践法:八正道
釈迦は、苦しみを超越するための具体的な実践として、以下の八正道を提示した:
- 正見(正しい見解): 現実を正しく理解する。四諦の教えを知る。
- 正思惟(正しい意図): 執着や悪意を捨てる正しい意志を持つ。
- 正語(正しい言葉): 嘘や無駄話をせず、誠実で正しい言葉を使う。
- 正業(正しい行い): 他者を傷つけず、道徳的に正しい行動をとる。
- 正命(正しい生活): 他者を害さない正しい生計を立てる。
- 正精進(正しい努力): 良い心の状態を保つために努力する。
- 正念(正しい気づき): 今この瞬間に注意を向け、自己を観察する。
- 正定(正しい集中): 瞑想を通じて心を統一し、悟りに至る。
3. 龍樹(ナーガールジュナ)
龍樹は、2〜3世紀に活躍したインド仏教の哲学者であり、大乗仏教(マハーヤーナ)の理論を体系化した思想家。彼は「中観派(マディヤマカ)」を創始し、仏教哲学における「空(くう)」の概念を中心に据えた。その思想は、後の大乗仏教の発展に大きな影響を与え、チベット仏教や東アジアの仏教にも受け継がれている。
空(シューニャ)
- 龍樹の哲学の中心は「空」の概念である。「空」とは、すべてのものには固定的な実体がなく、相互依存によって存在していることを意味する。
- 物事は単独で存在するのではなく、原因と条件によって成り立つため、実体的な存在ではないとされる。これを「縁起(えんぎ)」と表現した。
二諦説
龍樹は、「世俗の真理」と「究極の真理」という二つのレベルで物事を捉える二諦説を提唱した。
- 世俗諦(しゃくぞくたい): 日常的な世界での現実(因果関係や道徳)。
- 勝義諦(しょうぎたい): 空の真理を悟ることによって見える究極の現実。
龍樹は、どちらか一方に偏るのではなく、これらを統合して理解することを目指した。
中観思想(中道)
- 龍樹の哲学は「中道」を強調する。存在を完全に肯定する実在論と、存在を完全に否定する虚無論の両極端を避ける姿勢をとった。
- 中道とは、極端な立場に陥ることなく、空の教えを通じて物事の本質を正しく理解することを意味する。
龍樹と般若心経との関係
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龍樹と『般若心経』は密接に関連している。龍樹の哲学は『般若経』の思想を基盤にしており、般若経の核心的な教えである「空(くう)」の概念を体系化・哲学化した。一方、『般若心経』は、大乗仏教の重要な教典である『般若経』のエッセンスを凝縮した短い経典。
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龍樹は『般若経』で説かれる「空」を「すべての物事は実体を持たず、相互依存によって成り立つ」という哲学として深めました。このため、『般若心経』における「色即是空、空即是色」といった表現は、龍樹の中観思想とも強く呼応している。
般若心経
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「色即是空、空即是色」
- 「物質(色)は空であり、空が物質である。」つまり、物質とその本質(空)は異なるものではないと悟りました。
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「受・想・行・識もまた同じく空である」
- 感覚、思考、意志、意識なども実体を持たず、変化するものである。
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「一切の存在は生じることも消えることもなく、汚れも清らかもなく、増えることも減ることもない」
- 世界のあらゆる現象は固定された実体を持たず、永遠に変化し続ける。
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「したがって、苦しみの根源である執着や障害も存在しない」
- 執着を捨てることで、悟りの境地に至る。
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「悟りは、あらゆる恐れを消し去り、完全な平安をもたらす」
- 智慧の実践によって心が安らぎ、不安が取り除かれる。
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「この教えは、般若波羅蜜多(智慧の完成)という偉大な真理の中で示される」
- この深い智慧を実践することで、涅槃(究極の悟り)に達する。
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「真理は『羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶』という言葉で示される」
- (訳: 行け、行け、完全に行け、悟りに至れ。祝福あれ。)
4. 孔子
孔子(紀元前551年~479年)は、中国春秋時代の思想家で、儒教の祖。彼の教えは、個人の徳の向上と社会秩序の調和を目指し、倫理や礼儀、社会的責任を重視している。本書では、孔子の教えが単なる倫理や道徳の教訓ではなく、人間関係や社会秩序を深く洞察した「人間学」であると評価している。また、孔子の教えは柔軟であり、現代の多様な価値観の中でも適用可能であると強調している。
孔子の考えの中心的な概念として以下の5つがある。
仁(じん)
- 意味: 他者への愛、思いやり、道徳的な行動。
- 具体例: 孔子は「己の欲せざる所は人に施すことなかれ(自分がしてほしくないことを他人にするな)」という「恕(じょ)」の考えを通じて、他者への配慮を重視した。
礼(れい)
- 意味: 社会的な規範や儀礼を通じて秩序を保つ原理。
- 役割: 礼は単なる形式ではなく、仁を具体的に表現する手段として機能する。家庭や国家における秩序を維持するための基本。
義(ぎ)
- 意味: 正義や道義を重んじる心。
- 実践: 物事を利己的な利益ではなく、道徳的な価値に基づいて判断すること。
知(ち)
- 意味: 知恵や知識を指す。
- 孔子の教え: 学び続ける姿勢を重視し、「学びて時にこれを習う」という言葉に表される。
信(しん)
- 意味: 誠実さと信頼。
- 実践: 言行一致を心がけることを重視した。
5. 墨子
墨子(紀元前470年頃~391年頃)は、「墨家」と呼ばれる学派の祖であり、儒教に対抗する形で独自の倫理観と社会観を展開した。「兼愛」や「非攻」の教えは、当時の儒教の家族中心主義や戦乱を正当化する思想に対する大胆な挑戦であり、理想主義と実践主義を兼ね備えた哲学。墨子の中心的な概念は以下のもの。
兼愛(けんあい)
- 意味: 無差別かつ平等な愛。他者を家族や親しい人と同じように愛することを目指す。
- 儒教との違い: 儒教が「親族や身近な人々を優先する愛」を重視するのに対し、墨子は全ての人々を平等に愛するべきだと主張。
非攻(ひこう)
- 意味: 戦争の否定。攻撃的な戦争を道徳的に批判。
- 理由: 戦争は人々に苦しみをもたらす不道徳な行為であり、全ての人々が平等に愛し合うならば戦争は不要になると説いた。
節用(せつよう)
- 意味: 資源の節約と倹約を重んじる倫理観。
- 背景: 無駄を省き、貧しい人々の生活を支えるため、資源の効率的利用を訴えた。
天志(てんし)
- 意味: 天の意志。天(宇宙の理法)は万人を平等に愛し、道徳を実践することを求めていると考えた。
- 倫理の根拠: 墨子は道徳の基準を天の意志に求め、その実践が人々の幸福をもたらす。
6. 孟子
孟子は、人間の本質や政治哲学において独自の視点を持ち、特に「性善説」や「徳治主義」を提唱したことで知られている。孟子の思想は、孔子の教えを引き継ぎながらも独自性を加え、人民の幸福と徳を中心に据えた点で革新的である。また、性善説を通じて、人間の善性を信じ、それを引き出す教育や社会制度の重要性を強調した点は現代的でもある。
孟子の基本思想は以下のとおり。
性善説
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主張: 「人間の本性は善である」。
孟子は、人間は生まれながらにして「四端の心(善の芽生え)」を持っていると考えた。この四端を育むことで、徳を持つ人間になれると説く。 -
四端の心:
- 惻隠の心(人の痛みを見て哀れむ心):仁の基礎。
- 羞悪の心(不正を恥じる心):義の基礎。
- 辞譲の心(譲り合う心):礼の基礎。
- 是非の心(善悪を判断する心):智の基礎。
仁義の実践
7. 荀子について
荀子は孟子の「性善説」に対して「性悪説」を提唱し、秩序ある社会の実現には教育と規律が必要だと主張した。その思想は儒教の枠組みを維持しつつも、実用的で現実主義的なアプローチを取っている。荀子の思想は後の法家(韓非子や李斯)にも影響を与えた。荀子の基本思想は以下のとおり。
性悪説
- 主張: 「人間の本性は悪である」
荀子は、自然のままの人間は利己的で混乱を招く存在であると考えた。しかし、教育や礼儀(礼)を通じて善へと向かう可能性があるとした。- 具体的な考え: 善は人間の自然本性ではなく、後天的な努力によって獲得されるもの。
礼(れい)と法(ほう)の重視
- 荀子は、社会の秩序を保つためには、礼(道徳的な規範)と法(厳格な規律)が不可欠であると主張。
- 礼の役割: 人間の欲望を抑え、社会の調和を図るための倫理的・文化的規範。
- 法の役割: 礼を実現するための現実的な強制力。
知性と努力の重視
- 荀子は人間の理性と努力を信じており、学問や修養を通じて人間がより良くなると主張。
- 「天行有常」: 自然(天)は人間のために存在しているのではなく、一定の法則に従って動くもの。人間はその自然に依存せず、自らの知恵と行動によって生きるべきだと説いた。
8. 韓非子について
韓非子は、荀子の弟子でありながら、師の儒教的な道徳主義を退け、徹底した現実主義に基づいた「法治主義」を確立。その思想は、秦の始皇帝による統一の思想的基盤となり、中国歴史上大きな影響を与えた。韓非子の思想は「権力の本質」や「法律の普遍性」を的確に捉えている一方で、厳格な法治主義が人間性や自由を軽視する側面として限界もあると考えられる。
韓非子の基本思想は以下のとおり。
法治主義
- 主張: 社会を統治するには道徳や仁義ではなく、厳格な法律(法)とそれを執行する権力(権)が必要である。
- 法(ほう): すべての人々に平等に適用される厳格な規律。
- 権(けん): 君主が持つ絶対的な権威。
- 術(じゅつ): 君主が部下を管理するための統治技術。
性悪説の継承
法の普遍性
- 韓非子は、君主の個人的な好悪や徳性に基づく統治を否定し、「法律を基盤とした客観的な統治」が必要だと主張。これにより、統治は個々の君主の能力や気分に依存せず、一貫性と安定性を保てると考えた。
人間の管理
- 韓非子は、「信賞必罰(しんしょうひつばつ)」の原則を提唱した。この仕組みによって、人々は法律に従うようになると説いた。
- 信賞: 功績を上げた者を必ず賞する。
- 必罰: 違法行為をした者を必ず罰する。
9. 老子
老子の思想は、自然との調和や無為自然を重視し、儒家思想が「努力による社会秩序の実現」を目指すのに対し、「自然と共にある生き方」として対極のアプローチを示している。老子の思想は「人生を軽やかに生きるための智慧」であり、特に「無為自然」や「柔弱の思想」は、現代社会の忙しさやストレスから解放される鍵となる。その教えは『道徳経』にまとめられ、後の道教や東洋哲学全般に大きな影響を与えた。
老子の基本思想は以下のとおり。
道(タオ)
- 意味: 宇宙の根本原理、万物を生み出し運行させる見えざる力。
老子は、「道は言葉で完全に説明できない」とし、道を直接体験することの重要性を説いた。道は不変かつ永遠であり、自然そのものの流れを表している。
無為自然(むいしぜん)
- 意味: 自然の流れに逆らわず、無理をしない生き方。
老子は、人間が自然に干渉することなく、その秩序に従うべきだと主張。無為とは「何もしない」という消極的な意味ではなく、「自然に身を任せる」という積極的な調和を指す。
柔弱の思想
- 主張: 柔らかく弱いものが、実は強いものに打ち勝つ。
例: 水は柔らかく形を変えられるが、岩をも削る力を持つ。
この思想は、「柔よく剛を制す」という言葉で象徴され、力や権威に頼らない柔軟さの重要性を説く。
謙遜と控えめ
- 老子は、「目立たず控えめでいること」を理想とした。自己主張や欲望を捨てることで、真の幸福と安定を得られると考えた。
10. 荘子について
荘子は老子の思想を受け継ぎながら、自由で独創的な思索を展開し、人間の枠を超えた視点での幸福や自然との調和を説いた。荘子の思想は「自分の価値観を押し付けない」「他者や自然を受け入れる」姿勢を示しており、現代人が直面する競争やストレスから解放されるヒントになりうる。彼の思想は『荘子』という書物にまとめられている。
荘子の基本思想は以下のとおり。
道(タオ)
- 意味: 宇宙の根本原理であり、万物を生み出す流れそのもの。
荘子も老子同様、「道」を中心に据えましたが、彼は特に「道は人間の尺度を超えたもの」であることを強調。人間は「道」に従い、自然そのものの流れに身を任せるべきだと説いた。
無用の用
- 主張: 一見役に立たないもの(無用)こそ、実は大きな価値を持つ。
荘子は「役に立つことばかり追求するのは、人間の偏狭な価値観に過ぎない」と指摘。例えば、大きな木が切り倒されずに生き続けるのは、「材木としての価値がない」からこそだという寓話を示している。
万物斉同(ばんぶつせいどう)
- 意味: すべてのものは本質的に平等であり、区別は人間が作り出したものにすぎない。
善悪、美醜、成功や失敗などの価値判断は相対的であり、絶対的な基準は存在しない。人間はこれらの区別にとらわれず、「道」の視点から万物を等しく見るべきだと説いた。
逍遥遊(しょうようゆう)
- 意味: 自由な心で自然と一体となり、制約を超えて生きる境地。
荘子は、人間の枠組みに縛られず、心を自由にすることで本当の幸福を得られると説きました。これを「逍遥遊」と表現している。
例: 広大な空を自在に飛ぶ巨大な鳥「鵬(ほう)」の寓話。
11. 親鸞
親鸞は浄土真宗(浄土教の一派)の開祖であり、阿弥陀仏の救済を絶対的に信じる「他力本願」の思想を説いた。煩悩を否定せず、それを抱えたまま救済を可能とする親鸞の思想は、現代の人間にも共鳴する内容である。その教えは、日本の宗教観や人々の心に深い影響を与えている。
親鸞の基本思想は以下のとおり。
他力本願
- 意味: 自力(自分の努力や修行)による救いではなく、阿弥陀仏の慈悲の力(他力)によって救済されるという考え。
- 背景: 親鸞は、煩悩を抱える人間には完全な修行は不可能であり、救いは阿弥陀仏の誓願に頼るべきだと考えた。
悪人正機(あくにんしょうき)
- 意味: 「悪人こそが救われるべき存在である」という逆説的な教え。
- 解釈: 善人は自らの善行に依存しがちで、阿弥陀仏の力を信じ切れない。
一方で、悪人は自分の無力さを自覚しているため、阿弥陀仏に完全に委ねることができる。この考えは、「どんな人間も平等に救われる」という普遍的な救済思想を示している。
絶対他力
12. 栄西
栄西は臨済宗の開祖であり、禅の実践を日本に広めるとともに、茶の効能を説いたことで知られる。その思想と活動は、日本仏教や文化に大きな影響を与えた。栄西の基本思想は以下のとおり。
禅の実践(座禅)
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主張: 仏教本来の精神を実践するには、座禅が重要である。
栄西は、経典を学ぶだけでなく、日常生活において禅を実践することで、心を清め、悟りに至ることができると説いた。 -
臨済禅の特徴:
- 師匠と弟子の対話(公案)を通じて、直接的に真理を悟る。
- 瞑想(座禅)を通じて、心の本性を直観的に把握する。
仏教改革
茶と禅
- 栄西は、禅と茶の結びつきを深め、日本における茶文化の基礎を築いた。
- 著書『喫茶養生記』では、茶が健康に良いことを説き、特に心身を清め、禅の修行に適していると述べた。
- 茶を精神の安定と結びつけることで、禅の実践を補助するものと位置づけた。
13. 道元
道元は曹洞宗の開祖であり、禅の実践を中心に据えた独自の仏教思想を築いた。彼の思想は「ただ座ること(只管打坐)」に象徴される、純粋な禅の実践を通じて悟りを得ることに焦点を当てている。道元の基本思想は以下のとおり。
道元の基本思想
只管打坐(しかんたざ)
- 意味: 「ただひたすら座禅をすること」。
道元は、特別な儀式や教理ではなく、ひたすら座禅を行うことで悟りに至ると説いた。修行と悟りは一体であり、座禅そのものが悟りの実現であるとした。
修証一等(しゅしょういっとう)
- 主張: 修行と悟りは分離されない。修行そのものが悟りの実践である。
- 道元は、悟りを「修行の結果」ではなく、修行そのものと考えた。修行の中で常に悟りが実現されているという独自の教えを打ち立てた。
現成公案(げんじょうこうあん)
- 意味: この現実世界そのものが仏法であり、悟りの場である。
道元は、日常の生活や行動の中に仏法の真実が現れていると説いた。現実世界を逃避するのではなく、その中で仏教の教えを実践することが重要とした。
時間の哲学(有時)
- 道元は時間についても独自の考えを展開した。「有時」とは、時間がただの流れるものではなく、瞬間瞬間が完全な存在として実在しているという思想。過去・現在・未来は切り離されたものではなく、今この瞬間に一体化していると考えた。
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